Degenfeld Japan 寺田敏夫
世界最高級トカイ貴腐ワイン・歴史と伝統の中で育む
ハンガリー貴族Grof Degenfeld家との出会い
フランス・ブルボン王朝、太陽王ルイ14世をして「ワインの王、王のワイン」と讃辞され、ヨーロッパ王侯貴族の饗宴を盛り上げたトカイの貴腐ワイン。
ヨーロッパ及びハンガリー好きの私にとって興味ある内容であり、少しまとめてみたい気持ちから、ハンガリーの友人の助けを得て整理をしてみました。複雑なこの地の歴史はいつも混とんとしていて、時代の読みとりが難しいですが、トカイの貴腐ワインの持つ魅力に押されてキーを叩いています。
ブルボン王朝当時、ハプスブルグ家は中央ヨーロッパの屋台骨としていろいろなところとつながることによって、生き残り戦略をとっていました。ヨーロッパの強国との巧みな連携とバランスをとってきた王国です。このハプスブルグ家が、オスマン帝国に占領されていたハンガリーを奪還し、ハンガリー王国をその支配下においていた頃に、貴族Grof Degenfeld家が誕生するわけですが、その後、オーストリー・ハンガリー二重帝国時代になると、ハンガリー貴族Grof Degenfeld家とトカイ貴腐ワインとの関係が見えてきます。
トカイの土地の継承権をもっていろいろと活躍しているGrof Degenfeld家、世界最初の貴腐ワインの偶然の誕生、ハプスブルグ家との繋がり、貴腐ワインの等級6P、5P、商品の基準化など、掲題を見ながら次々と知りたい事が一杯出てきました。
その様な訳で今回は私が知り得るハンガリー・トカイの貴腐ワインについて思いつくままに書いてみました。
諸説ある中でのこと故、ご意見がありましたら是非お知らせ頂ければ有難いです。
何度かハンガリーを出張している時、私のハンガリー語の通訳をしてくれているL女史から、ハンガリー東部・ブタペストの東方200キロ程にあるトカイ地区に、貴族の経営する古城ホテルがある事を知り、そこを訪問することになった。
広大な葡萄畑の広がる丘の上に教会らしきもの、丘のふもとに城らしき建物が見える森があり、その中に古城ホテルGrof Degenfeld があった。立派な門構えに家紋の獅子が描かれ、いかにも中世の居城という感じで、そこを車で進み宮殿のホテルへ。居城として使っていたものをホテルにした立派な建物。そこは庭が広く、芝の広場があり、ヘリコプターが下りられる場所も作られている。プールがあり、テラスで庭を見ながら休むこともできる。まさにお城で寛げる雰囲気だ。
昔は宮殿としての作りであったが、今から30年位前に(正確には直近で25周年式典の招待を受けたが、それ以前にホテル、レストランの順で準備していた)ホテルとレストラン、デゲンフェルド家所有の教会での結婚式の催しに切り替えられた。やや高い石段のアプローチがあり、宮殿の間がロビーとして使われ、反対側はレストランとなっている。四つ星ホテルとして冬の間を除いて営業をしている。二階,三階が客室となっていて、客室にはシャガールの絵がかけてある(本物?)。今年はコロナ禍、5月から営業を開始している。
最初は、丁度ぶどうの収穫時期の後半に訪問したので、部屋には色づいた美味しそうな立派な葡萄の大きい房がウェルカムフルーツとしてテーブルを飾っており、赤い模様のペルシャ絨毯とのコントラストに映えていた。
支配人といろいろと話していると、3か所の葡萄畑にそれぞれの個性ある葡萄が作られており、宮殿の建物の裏にはワイナリーがあって、その地下には広大な石造りの熟成場所があり、オーク樽に詰められたワインがずらりと並んでいるとの事で、ワインについてじっくりとお話を聞くことにした。
ワイナリーの地下には試飲室があり、そこでいろいろな貴腐ワインの蘊蓄を聞きながら試飲をし、日本へのお土産を決めた。余談だが、私の家族はクリニックを経営していて、ワイン好きの友人や医者達にこの貴腐ワインを土産にしたのですが、その後またほしいと、リピートがあり、大変喜ばれている。
このDegenfeld Tarcal ワイナリーはとてつもなく広い為、散策には丁度良く、目の前を野ウサギが横切るような環境で、リラックスするにはもってこいの場所だ。
ブドウの実がついてからは、過去に何度も病虫害に侵されたことから、必ずぶどう棚の列の先端に赤いバラの花が植えてあり、その赤いバラに虫がつくと、その棚は全て撤去焼却処理をしている。1800年頃にトカイ全体で甚大な被害が出たとか。しかし、Degenfeld家は化学殺虫剤は使用しないとの事。
訪問したその年は丁度ぶどう祭りが終ってしまっていたことから、次回はぶどう祭りに合わせようと思った。随分楽しい祭りで、村の人達がワインに酔いしれるという。オーストリーのホイリゲ(Heurige)のような場所で楽しく遊ぶのでしょうね。ワインの特売もあるとか。
Degenfeld では時々ワイナリーの中でピアノコンサートを開いて、みんなで楽しんでいるとか、、。皆さん愉しみにされている。
こんなDegenfeld家ですが、楽しくリラックスできるところは一杯ありますね。まだレストランには触れてませんが、本格的フレンチで、また、地元ハンガリーの郷土料理も出してくれます。とてもおいしいですね。
国宝豚(マンガリッツア豚)が美味しいですね。この貴腐ワインに「あてる」料理はやはりフォアグラのソテー。最初に支配人と試飲に合わせて食べた時の感動、ぴったり合うこの相性は何物にも置き換えられないものでした。このときの貴腐ワインは2013年ビンテージ6P でした。
ハンガリー王国は凡そ1000年続いたが、貴腐ワインはヨーロッパの列強の王侯貴族を喜ばせ、又、植民地として狙われる時代を生き延び、今もなお、立派に存在している。その後、何度かハンガリーに出向く際にはいつもGrof Degenfeld 古城ホテルを訪問、ゆったりと時間を過ごす事が出来た。度々お世話になっていたが、その内に総支配人とも段々親しくなり、色々な話で盛り上がった。彼の弟の奥さんが日本人だという事も教えてくれた。
後にこの城主の伯爵夫人に会うのであるが、丁度ドイツの家の方に行っていて留守。Degenfeld伯爵は女性でGr.f Degenfeld M.ria さんといい、とても穏やかな方で、ドイツのメルセデスベンツで有名なStuttgart近郊のアルプシュタットにご主人で実業家Dr. Lindner さんと住んでおられ、毎月ハンガリーに来られている。
トカイ貴腐ワインは1612年に誕生、それがフランスブルボン王朝太陽王ルイ14 世に贈られた背景を知る為には、どうしても神聖ローマ皇帝レオポルド1世(オーストリー・Habsburg 家)との関係を知っておく必要がある。
当時のフランスはブルボン王朝。ハプスブルグ家が統治するオーストリー王国は神聖ローマ帝国の枠に入っていて、フランスのブルボン家は競争相手であった。そんな中でこのトカイ貴腐ワインは貴重な外交上の戦略物資であり、贈物に使われたとみられる。
ここでトカイ貴腐ワインの歴史に触れてみます。諸説ありますが、古文書などで言われている事を主に進めます。
ハンガリーのワインの歴史をみると、ローマ人が葡萄を持ち込み、5世紀には多くの農園で葡萄が作られている。9世紀にはマジャール人によりトカイのワイン農園が始められている。生産品種のほとんどは白ワインで、12世紀にはハンガリー王国の主要な葡萄の生産地として栄えていたが、その後オスマン帝国の神聖ローマ帝国への侵攻の際、軍がトカイ地区を通過する時に、丁度ぶどうの収穫期にあった(1600年代前半)。農民は収穫をあきらめ避難をする中、軍が居なくなったのでブドウの収穫を試みるが、ブドウの木は既に枯れ、ほとんどの葡萄はカビが生えてしまい、いつもの葡萄が収穫できなかった。時の領主がそのカビの生えた葡萄を絞ってワインを作ってみたところ、芳醇な香りと甘いワインが出来上がった。これが貴腐ワインの始まりと言われている。オスマントルコのお陰で世界に類のない貴腐ワインが誕生したという訳。
ご存じのようにオスマン帝国はオーストリー連合国との戦いで、中々ウィーンを攻略する事が出来ず、1699年にオスマン帝国の支配下にあったハンガリーをオーストリーに割譲、その後、1867年にはハンガリーとハプスブルグ家率いるオーストリー帝国との間でオーストリー・ハンガリー2 重帝国が誕生した。もし、オスマン帝国がウィーンを陥落させていたならば、世界の歴史は大きく変わっていたでしょう。
さて、ここでオーストリー帝国(ハプスブルグ家)に絡み、貴族Degenfeld 家の歴史に触れたいと思います。ドイツ・ハンガリー系のDegenfeld伯爵の家系は、トカイのぶどう栽培とワイン造りに何世紀にもわたり多大な貢献をしている。トカイだけでなくハンガリー全体の重要な貴族の一つとしても活躍をしている。
Degenfeld家は1270年の文献ではスイスで騎士として活躍、その後この貴族からは優れた騎士が誕生、そのうちの一人がオーストリー国王フランツ2世から1810年ウィーンで貴族の称号をあたえられた。ハンガリー伯爵の称号 (Gr.f) を授与された帝国顧問官のDegenfeld Mikl.s(デゲンフェルド・ミクローシュ)がハンガリーのDegenfeld 伯爵家の創設者になる。また、Degenfeld Imre(デゲンフェルド・イムレ)伯爵はトカイの最も重要なトカイワイン生産者協会を作り(1857年)、葡萄の品質、改良に尽力をした。そしてトカイの殆んどの有名な葡萄畑を所持、管理をしていたのである。
ほぼ2世紀にわたり、Degenfeld家は多くのハンガリーの貴族の家族と関係があり、ハンガリーの高官、首長、国会議員、教会主として活躍をしている。
Degenfeld 伯爵家はトカイ地方の土地の継承権を持った立派な貴族であったが、第二次世界大戦後ハンガリーが社会主義国家になり、土地や財産が国家のものになったため、ハンガリーを去らざるをえなかった。
ハンガリーが民主化されると、90年代に土地を買い戻し、葡萄畑の回復に多大な尽力とワイン生産への復興にエネルギーを注いできた。ハンガリーのトカイ地区が世界遺産の指定を受けたり、ハンガリーで一番美しいワイナリーとして選ばれているのも、この貴族の努力の賜物であろう。ハンガリー大統領にも表彰され、土地の首長にも表彰されるなど、大きな成果をあげている。
さて、トカイの貴腐ワインと貴族Grof Degenfeld 家の関係はおおよそ見えてきましたが、このワイナリーの貴腐ワイン、ホントに美味しいんですね。ルイ14 世でなくても美味しいものは美味しいのです。それ故、ここ数年の世界ワインコンテストで有名なイギリスのDecanter World Wine Awards ではDegenfeld の貴腐ワインやドライ白ワイン、スパークリングワインが金賞等を受賞しており、ここのDWWA 雑誌に取り上げられています。
まさに世界のブランドになっています。
さて話は飛んでDegenfeld Japan が出来た由来に触れます。
先に述べたように私がハンガリーを訪問する都度、貴腐ワインのお土産を差し上げていた方々から貴腐ワインのリピートを貰い、と言えども、私どもは貿易業こそしていますがお酒の許可までは持っていません。そこでDegenfeld 伯爵や総支配人とも相談し、日本に出先機関としてGrof Degenfeld Japan をここ名古屋に起こしました。そして日本のワイン愛好家に世界ブランドであるDegenfeldの色々な貴腐ワインをはじめDry白ワイン、スパークリングワインを紹介、歴史的に活躍、愛飲されたワインを是非とも楽しんで頂こうと広くSNS を通じて発信。また、ハンガリーなど東欧を旅行される方に是非、本家Grof Degenfeld の古城ホテルに足を運んでいただき往時をしのんでいただければと思う次第です。
日本向けワインには現地総支配人の支援を得、日本向けにPremium wine としてセレクトしてもらい輸入をしています。それらのワインにはロット番号が入れてあり、トレーサビリティができるように心掛けています。安心して楽しんで頂けるようにと思う次第です。
また、是非古城ホテルをご案内したいと思いますので、一声かけて戴ければ個人ツアーなどにも織込めますのでご連絡下さい。歴史あるワインを現地で楽しんで頂くのも楽しいものです。
そんな目的で2019年に発足、時はタイミング良く、EUとの間のEPAを安倍首相が出かけて調印、ワインの関税撤廃がスタート。
さあ大変、お酒の輸入、卸しや小売り、それに通信販売など急いで国税局に申請し許認可を受けて、ワイン貯蔵庫、試飲室などを作らねばと大忙し。元来ワインショップをやる訳でなくDegenfeld Hungary の出先機能。ワインソムリエでもないただの素人に近いもの。でも、お陰で準備も整い無事環境の整備を終え、HPやFB, Instagramなどもスタートをしました。
日本でのDegenfeld ワインの評価はまだなかった事から、この年2019年に椿山荘で行われた第9回日本で飲もう最高のワインに出展、凡そ1500本の世界から来た日本にあるワインの中から見事最高賞であるBest of Show を受賞、併せてプラチナ賞、金賞を受賞しました。
また、アメリカのDonald Brawn氏が主宰され、日本で一番権威付けの有るコンテスト、第22回 JWC(Japan Wine Challenge)2019にも出展、見事ここでもBest of Show に輝きました。併せてBest dessert wine, Trophy for Best Organic Wine, Riedel Awards for Best Importer 2019等、大賞の数々を頂き、高円宮妃殿下から拝受いたしました。ハンガリーワインとしては初めての大きな成果でした。この表彰式にはハンガリー駐日大使夫妻もご招待され、私と一緒に妃殿下にご挨拶をさせて戴きました。
第23回、2020 JWC はコロナ禍ですがコンテストのみ開催され、Degenfeld の貴腐ワインは連続して金賞を受賞しています。コロナで表彰式は開催されていません。
さて、Degenfeld のワインの世界的評価は素晴らしいものが在りますが、貴腐ワインになる貴腐葡萄はどんなものなのか、どんな基準でこの世界最高の品位ある貴腐ワインを守っているのか、トカイにはどんな葡萄が貴腐ワインになるのかなど、知りたい事が一杯あります。
Degenfeld では一定の基準でワイン品質を維持しています。その為、毎年取れた葡萄がすべて貴腐ワインになるわけではありません。品位と品質の基準がブランドを作ります。トカイには色々な貴腐ワインがありますが作り方、味など、それぞれ違いがあります。試飲して良いものを選んでいただくことをお勧めいたします。私どもには試飲室が作ってあります。是非ご利用いただき、価値を見てお求め戴きたいと思います。
次回には、貴腐ぶどうはどうしてできるのか、また貴腐ワインの等級と格付けの基準、貴腐ワインの美味しい料理のあてと戴き方、などに触れたいと思います。また、ハンガリーの赤ワインも優秀なものがあり、第23回JWC 2022に出品、金賞を頂いています。
ハンガリーはワインの歴史が深く、とても美味しい赤ワインが在ります。特にボルドーの土壌に近い成分のペーチ近くのVill.ny などは頑強なフルボデーのスパイシーな赤が注目され、ロンドンの王室御用達ワイン商の隠れた注目を浴びています。6~7年寝かせて最高の味にし販売されます。
ハンガリーは音楽家リストの国でもあり、オーストリー・ハンガリー君主国の流れを受継いでいますので、日本の皇室も訪問試飲されるなど、エピソードは数々ありますね。
今回の貴腐ワインについて、世界三大貴腐ワインはトカイのほか、ドイツのトロッケンぺーレンアウスレーゼ、フランスのソーテルヌなどが有名になっていますが、私の個人的私見ですが、ハンガリーは宣伝が得意ではないですね。味で勝って宣伝で負けている感じ、残念ですね。
では次回また機会があればお目通しいただけるのを楽しみにしています。
世界最高級トカイ貴腐ワイン・歴史と伝統の中で育む
ハンガリー貴族Grof Degenfeld家との出会い(その2)
夏号でハンガリーのトカイ貴腐ワイン(トカイ・アス―)とその歴史的展望、それを育んできたハンガリーの伯爵Gorf Degenfeld家について触れてみましたが、この秋号は2回の世界大戦を経て、ハンガリーが共産圏に取り込まれた事により、この伯爵家も過酷な運命をたどる事になってしまい、その中に在りながら私財を投入して世界最高級の伝統あるトカイ貴腐ワインを復興させ、世界遺産に輝くトカイのワイン産地の歴史的・文化的景観に大きな貢献している事について触れてみたいと思います。
また、この美味しいトカイ貴腐ワインを日本の食材でいかにして美味しくマリアージュすればいいのかを私的意見を交えてご紹介をしたいと思います。
第一次世界大戦でハンガリー王国(オーストリー・ハンガリーの二重君主国)は敗北を喫し、同時にハンガリーはオーストリーから分離独立した。大戦後の混乱期にの中で共産党革命が起きるが直ぐに崩壊するなど、混沌とする中、ハンガリーはトリアノン協定で一部領土を失うなど厳しい環境におかれた。その後、王国の成立が宣言されるが国王のいない状況で節制ホテルティの支配の元、ドイツのナチスと組み枢軸国の一員(日本を含めて)として連合国を相手に第二次世界大戦に突入した。しかし、この大戦でもハンガリーは敗北した。このとき、Degenfeld 家地下倉庫の貴腐ワインはソ連軍に強奪された。その後、ハンガリーは東欧諸国に組み込まれた。Degenfeld家はハンガリーとルーマニアのトランシルバニア地方にも領土を持っていたが、共産党独裁のもとで領土は没収され、Degenfeld家は離散、一家はルーマニアに避難し、隙を見てドイツに渡る事になった。現在の当主Marie Grafin von Degenfeld 伯爵はドイツの実業家でDr.Thomas Lindner氏と結婚、ドイツ・アルプシュタットに在住している。先年そこでお目に掛かった時にその苦難の話を筆者に説明をしてくれましたが、ソ連軍による何万人もの女性への性的暴力など目に余るものがあり、そのつらさを聞き、胸の痛みを感じた。
共産党独裁政治はハンガリー動乱で大量の犠牲者を出したが、1980年代に入ってソ連のゴルバチョフ書記長がペレストロイカを進め、ハンガリーも民主化運動で急速に民主化が進んだ。1989年には汎ヨーロッパ・ピクニック事件などで一連のソ連による共産支配が崩壊し、資本主義経済の民主国家へと体制が転換した。これは今から凡そ30年前の話です。
地代を遡ると、ドイツ系のDegenfeld家は保2世紀にわたって多くのハンガリー貴族との親縁関係をもちながら、優れた騎士や、国の高官、首長、国会議員、聖職者などを数多く輩出してきた。トカイ地方に土地を所有していたデゲンフェルド・イムレとその妻ベック・パウリナは、トランシルバニア地方を含め、いくつかの居城を所有していた。デゲンフェルド・イムレはトカイ地方のワイン生産者協会(1857年設立)の創始者でもあり、多くのブドウ園を保有していた。Nagyszoloと呼ばれるワイン造りで最も価値のある南斜面を所有しており、その近辺はトカイの魂と呼ばれるほどの素晴らしい場所である。戦後、所有者のデゲンフェルド・シャーンドル伯爵はベトレン・アーグネッシュ夫人と一緒にルーマニアに逃れ、その後、西ドイツに移住し新しい生活を始めた。
ルーマニアでは色々危険な目に会いながらの生活であった。彼らの娘で現当主Maria Degenfeld伯爵には二人のお子さんがいて、現在はドイツのアルプシュタットでくらしている。
戦後の復興25周年記念セレモニーの開催
体制転換後の混乱期が少し落ち着き始める中で、没収された土地の買い戻し、荒れた葡萄畑の土地改良、伝統ある貴腐葡萄づくりの再現と品質の向上、荒れた宮殿の改修、葡萄の有機栽培化など私財を投入して復興に尽力、ようやく25年ほど前に完成を見る事が出来た。
デゲンフェルド家の館は宮殿ホテルとしてよみがえり、これを中心にワイナリーの近代化に合わせた葡萄づくり(特に有機栽培を軸とした安全・安心の葡萄づくり)、ホテル内で結婚式などの催し物が出来る体制と近代的なレストランへの生まれ変わり、マリアテレジアの寄贈による旧教会の復興などが進められ、トカイ地区の世界遺産登録と雇用の拡大に大きく寄与した。こうした事が評価され、成果を上げる事が出来、ハンガリー大統領から感謝の意と表彰を受けるなど地場産業の高揚に努めている。現在ではハンガリーで最も美しいワイナリーに選ばれるなど観光面でも貢献をしており、宮殿ホテルは4つ星ホテルとして評価を受け、シーズンになると観光客で賑わっている。一度は是非泊まってみたいホテルです。今年2021年9月で四半世紀を迎える事が出来、政府関係者、市長、議員、主要顧客などの参列を得て25周年記念セレモニーを開催いたしました。筆者も参加予定でしたがコロナ環境下でありオンラインで祝福をした。
このような背景を持つGrof Degenfeld Estateが、今後もハンガリーに有って世界一の品質を維持するトカイ・アス―貴腐ワインを生み続けてくれるサスティナブルな地域であり続けてあってほしいと切にねがっている。
さて、硬い話は別として、このトカイ・アス―貴腐ワインはあのルイ14世に”王のワインにしてワインの王である”と言わしめ、絶賛せしめたもので、その独特の個性あるうまみは、トカイ地方の貴腐菌によるフルミント葡萄の貴腐化から生み出されている。その香りも独特で、ひとくち含むと得も言われぬ芳香を感じる。
明るい黄色の若いビンテージワインや蜜のような濃厚な飴色のしっかり熟成したトカイ・アス―は見ているだけで品位を醸し出している。このとろりとした密のような、又香ばしい独特の味わいは他の貴腐ワインの追従を許さないものと思われる。他の貴腐ワインのソーテルヌ、トロッケンベーレンアウスレーゼ等との違いはこの貴腐菌とフルミント葡萄にあるのではないだろうか。
トカイ・アス―貴腐ワインと日本の食材のベストなマリアージュについて
国内外で数々の優秀賞に輝く”翡翠”ブルーチーズとのマリアージュ
今まで国内産の色々なブルーチーズを探していて漸く到達した翡翠という名のブルーチーズ。国内外での数々の優秀賞を獲得しているこのチーズはしっかり熟成された独特の芳香を持ち、アスー貴腐ワインにはベストのマリアージュです。癖になるイッピンです。秋の夜長、本でも読みながら至極の時間をお楽しみください。試飲室での販売も行います。
製造は信州のチーズ工房”アトリエ・ド・フロマージュ”海外産より割安感。何よりしっかり熟成し新鮮な期間で食べれるのが良い。翡翠のような鮮やかな青カビが特長の濃厚なチーズ、国内コンテストでは2019 All Japan natural cheese contest 2019では金賞を受賞している。また、ブルーチーズとして2019 World Cheese Awardで世界42ヵ国、3800点から見事に銀賞を受賞、熟成度が良くまろやかで口当たりがよく、翡翠に比べやや甘口の美味しいチーズ。アス―貴腐ワインにふさわしいチーズの発見である。是非合わせてみて下さい。
生ハムのスペイン・巨匠JOSELITOが太鼓判の信州TONYAの生ハムとマリアージュ
イベリコ豚生ハムの巨匠JESELITOは製造工程を門外不出としているが日本で、このTONYA生ハムだけに指導、本場の味を植え付けさせた一品。信州高山村の高地で朝晩の温度条件と風土が生み出した上品な甘みを引出してくれる。熟成室に入ると生ハムの芳醇な香りが一杯、しばしの時を楽しむ。製造者はワイン葡萄のプロであり、信州生ハム工房TONYAの佐藤明夫さん。このハムはアス―貴腐ワインの芳醇なコクを旨く引き出す何かを持っているベストのマリアージュ。至極の時間でゆっくり口に含み味わってください。試飲室での販売も行います。
最後に
ハンガリーはモンゴロイド系、アジアにルーツを引く唯一のマジャール人種と言われることもあり、何となく親しみを感じる国です。歴史が深く、何度訪れても何かを発見できるそんな国です。
貴腐ワインと言う歴史的に大変価値のある資産を持っていて、日本の皆様に是非飲んで頂き、至極のひと時をお過ごし頂ければと思う次第です。漸くハンガリーワインの普及の為のハンガリーワイン&バーリンカ協会も発足、今後ハンガリーとのより一層の有効発展に寄与できればと思います。
私共Grof DegenfeldHotel & Winery に是非お出かけください(ご連絡頂ければ十分な便宜が図れます)。
最後に当ハンガリー友好協会の益々の発展を期待しております。また、投稿にあたり理事の志村様、早稲田教授には歴史的背景などのヒントを戴き有難う御座いました。